今年も、親父は、早起きをして、いった。
近くの幼稚園までいき、ろうそくに灯を点し、黙祷する。
親父が、ヘルニアで動けない年、変わりに僕が行った。
いつからなのか、追悼し、冥福を祈るその集いが
「大震災を憶(おぼ)える集い」という名でひらかれるようになった。
時間は過ぎている。
その後、僕の住む町も一変した。
建築や住宅のシゴトをしていると、ことあるごと
に地震の前か後かという話がでる。
地震のあった朝、たまたま、地元を離れていて、
その揺れはもちろん、その全てを経験していない。
みなは、それでよかったというが。
もちろんそうなのだが。
この町のみんなは、震災を震災とは呼ばない。
地震と呼ぶ人が多い。地震といえば、あの時をさすのだ。
それくらい、点としてのあの瞬間は凄まじかったし、
その記憶として存在も大きいのだろう。
しかし、震災と呼び名を変えると、それは
単なる点などではない。のだろう。
一昨年のこと、材木やさんの主催で展示会へバスで行った。
帰りにみんなで、灘にある「人と防災未来センター」にいった。
みんなはじめてだった。地震が、ハリウッド映画のように
編集されたり、脚色されたりして展示、放映されていた。
みんないい気はしなかった。
あれは、あそこは、なんなんやろ。
たぶん、大震災を憶え、受け継いでいくためのもんなんだろう。
それが、なんで、あんな硝子張りなんかようわからんけど。
毎日いろいろ忙しいけど、年に1回くらいは、
ちゃんと、家族で地震の話をして、ほんまにあったこととして
ちゃんと、伝えていかあかんことやと思う。
※震災当時、弊社施工の建築物には、極端な被害は認められませんでした。
それでも、瓦屋根の仕舞いをはじめ、その復旧には、スタッフ総出で努めました
がなかなか追いつかず、近隣の方々、当時の新規のお客様には、お待ち頂くなど
ご迷惑をおかけしましたこと、この場を借りて、お詫び申し上げます。
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