応募!「炎のある暮らしデザインコンテスト」

第三回を迎える炭火・炎のある暮らしデザインコンテストに応募した。手前みそながら、第一回の時には、薪ストーブ部門で最優秀賞を受賞した。

囲炉裏部門と薪ストーブ部門からなり、横内敏人、泉幸甫、川口通正という建築家三人をはじめとする審査員がすごいのである。

今回は、薪ストーブの隣に囲炉裏を据えた、どっちもあるリノベーションで応募。はてさて、どうなることやら。

街角古町
施主:大塚博(三代目)
設計:大塚伸二郎(四代目)
施工:大塚工務店

〜生家の再生を通して〜
大塚工務店 代表取締役 大塚伸二郎(四代目、一級建築士)

木つくりひとすじ、一世紀。ここは、もうすぐ百年を迎える工務店代表の生家である。阪神大震災から十数年が経った頃、ようやく、紺屋の白袴から脱却すべく再生を始めた。全壊指定からの復興である。

建築は、昨年築城四百年を祝った、かっての明石城下の内堀あたりに建つ。大正十三年に初代為三郎が店を構えた創業の地でもある。大工の土場はやがて住居となり、暇になったら家をさわる、工務店主の棲家らしく、幾度となく手を入れている。したがって、その佇まいは、ちんどん屋のようで、まとまりはない。

増え続ける世帯数を受け入れるために、敷地内に幾つかの棟が連なっている。播州を貫く大動脈である国道二号線を南に、道路際に建つ総二階の母屋に若世帯。北に中庭を挟んで、老世帯の離れが建つ。母屋の北側には、中庭を脇にして、離れの手前まで下屋が延び、そこがいわゆる水周り。往時の大工小屋の風情を認めるのは、この下屋を貫通する通り庭(土間)である。ここを往来しなければ、祖父母と曽祖父の元にはいけず、ここにでなければ風呂場にもいけない。震災前は、そんな風だった。

犬も歩けば、風も通り抜けるこの通り庭に面して、囲炉裏とストーヴの部屋はある。再生したのは下屋の部分だ。

総二階の母屋には今、誰も住んでない。震災の日から手付かずのままである。現在の主は、工務店の三代目で、隠居半分、奥の離れを修繕して夫婦水入らずで住んでいる。震災までそこに住んだ、二代目夫婦は昨年連れ添うように逝った。そんな栄枯盛衰を知ってか知らずか、近くに住む三代目の孫たちが、代わる代わるやってきては、走り抜ける。通り庭は今も、現役である。

この下屋は、四代目が幼い頃、台所兼食堂として機能していた場所だ。順光の中庭を斜に臨み、寒い内縁を抜けると便所がある。この内縁には、四枚建の硝子戸があり、戸袋に引き込むことができる。今でも、この木製の硝子窓はここにあり、隣接する六畳間から眺める緑を、穏やかに切り取る。

話を再生した頃に戻そう。同じ時期、お隣神戸の奥白川にある築三百年ともいわれる古民家の解体を担った。古材の嫁入り先を探すという運動の傍ら、生家にも古材を引用し、使い方を示そうと思ったのだ。時に、母と祖母の故郷、吉川町の街道筋にある古い商店建築の解体も重なった。

白川の棟束の下の太鼓梁は、磨き、油で押さえてそのまま柱にした。片面を削り、カウンターや窓台にもした。おくどさんの上にあった煤けた地松は、今尚ヤニを出し、削ってもチャーシューのように煤が染み込んでいた。

吉川の大黒を半分に挽いて、囲炉裏端とした。赤く堅いケヤキは、雑木と呼ぶには無礼千万。大胆な木目はそれだけで美しい。

横架材を縦に使ったり、尺角の大黒柱を割ったり、大工の作法からすれば、無作法極まりない再利用だ。阿呆な事をしていることはわかっていた。けれども、捨てて燃やすよりかは、マシである。生きてこそ、そこにあり続けることができるのだ。

その少し前に、部屋の隅に薪ストーブを据えた。不確かな旧家の断熱性能を補うために、強い熱源を必要としたのである。南に面した総二階の母屋がつくる影は、この下屋を大層暗くした。昼光利用のために開けた天窓の下に、前述の囲炉裏を据えて、排煙窓に見立てた。

夏の重力換気のために、開閉式を選択した天窓を出口として、かっての天井をめくった小屋裏は火袋となる。その下のひとの営為を、懐深く受け止めてくれるので、部屋が煙で満たされることはない。外に目を向ければ、順光の庭があり、手入れを怠った末の緑はむしろ元気がよく、取り囲むようにそそり立つマンションから下る目線を遮ってくれる。

無論、天窓は電動などではない。電動より手動、感知式より人力、人を阿呆にさせない常套手段だと心得ている。

震災が起きた時、二階が住まいで一階が商店、そんな職住近接の下町で、商店街は通学路だった。気分が良くても悪くても、景気のいいおかえりの掛け声に、心が救われた日々があった。

明石駅前の中心市街地の再開発計画がおこり、反対も虚しく、震災は公にとっての追い風となり、あたりは一変した。高層化した小さな街には、ビル風が吹き荒れ、そんな時は歩くのもままならない。地面から高く離れた高層階に移り住んだ地権者は、洗濯物も干せないと、この町を離れた。

百年経って変わらないのは、この家と国道だけである。これからもできる限り、街に開き、風が通り抜けるままでありたいと願う。この囲炉裏端で木育をしたり、読み聞かせをしたり、大工衆や仲間と炉端焼きをしたりする。囲炉裏で使う炭は、そばにあるストーヴに放り込み、いこるのを待つ。夏にはガラスを伏せて、大きなテーブルになり、主は趣味の陶芸をしたりしている。

新しいあたりまえに踊らされない木の家つくりとは何か、そんなことを考える毎日です。

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