山守から学ぶ、水の原理。

今日は、海の恋人である
山のことを話します。

もしも、興味が湧いたなら、末尾
にシェアした動画を見てください。

なぜ、透明な湧水が濁り、泥水になるのか
その答えのひとつが、そこにあります。

川や溝に流れる水、それらは
護岸で固められた川の上や、
コンクリート製の側溝の上を
雨が流れるものである。

皆さんの雨水のイメージは
そうではないでしょうか。

もちろん、そうなのですが、
硬められた溝にあっては、
水はその上を走ることしか
できません。

けれども高田宏臣さんは言います。
川は湧水でもある。

山から、川上から、川下へ流れる
豊富な日本の水は、谷や川の上を
流れるだけではなくて、

深く浸透し、湧き水のように
川の底から繋がるものである。

そして、増水の時は河原全体が、
水を吸い込み調整してくれるような
懐の深さを併せ持っています。

そのような考え方を「土中環境」
と呼びます。

大地の下には地中があって、
そこにも、水や空気がある。

だからこそ、
木は根からその豊かさを享受する。
そして、光合成をしてくれる。

小さな生き物たちの活動の末に、
土中に豊かな環境が形成されて
栄養価の高い水が、海を潤す訳です。

「土中環境」とは表面だけ、
人の目に見える範囲だけで
考えを収束させるのではなく、
断面的なありようをイメージしながら、
大地の働きに、心を寄せる学問です。

けれども土木工学では、
表土のことは学びますが、
地中に住む微生物の働きなど
には及びません。

一方、生物学では表土のことは
学ぶことはできない。

大地の上に、住み暮らす私たちが
空気、すなわち酸素を呼吸するように
地中の生物、地中に根を生やす樹木も
酸素を欲しています。

葉による光合成の傍ら、根から水を吸い
補給しているのです。

元来、山の湧水は透明です。
中にはたくさんの空隙があり、
毛細血管のように、水脈が
走っていて、そこは空気の
通り道にもなっています。

闇雲に表土を削って、その多孔質な
部分を取り除くばかりか、蓋をして
しまった時には、毛細血管のような
水脈は細かな砂で詰まってしまいます。

大規模に大地を削って、
そこに蓋をしたならば、
雨はそこに浸透することがなくなり、
表土を削るように泥水となって
谷に蓋をして、川底に溜まります。

川より川上にある谷が、
泥水で蓋をされると
湧水は出口をふさがれます。

他方、川床が泥で詰まると、
大地が渇く時季に、
湧水が潤す作用はなくなり
大地が湿る時季に、
水を吸い込んでくれる力も
なくなります。

湧水の出る先が、泥で蓋をされると
その全てが、砂で埋まり
多孔質な土中は目詰まりに
なってしまいます。

そうなると、ますます浸透する力を
失った大地の上を、水は走る道しか
なくなり、透明な湧水ではなく
泥水となって、泥を谷や川に
運び続けるのです。

一般に土は乾きます。

すなわち多孔質な土は、一度濡れても
水を吐き出して土に戻るのです。

しかしながら、細かすぎる砂は、
水分子と結合し、長い間泥として
留まってしまうと言います。

山のてっぺんを削り、雑草が
生えないように蓋をすることは、
川上に泥水製造工場をつくって
いるのに、等しい。

そう考えることは容易です。

子供たちでさえ、大好きな泥遊びを
通じて、肌で感じて学んでいる
ことでしょう。

無知が及ぼす悪気のない所作が、
規模の大小と、その場所によっては、
人の暮らしに、大きく影響を与えてしまう。

そのことを、忘れてはならない、
その為には、学ばなくては、
と思うのです。

山の民たちは、造成が始まると
透明だった湧水が濁るといいます。

問題は、私たちの目に見える
表面だけの話では無いのです。

若い頃、大阪は、河内長野の木こりの
元を訪れたことがありました。 

おっちゃんは言いました。

切るために植えられた人工林で
あっても、町の子供たちから
見れば自然の一部やし、風景なんや。

だから俺は、絶対にハゲ山にはしない。

おっちゃんは皆伐と呼ばれる
いっぺんに木を全て切ってしまう
林業手法は選ばず、

より手間のかかる間伐と言う方法を
実践しています。列状間伐と言われる
それは、残す木と、切り出して町に
届ける木の列を分けながら、持続可能な
山として、循環させていく方法です。

また、

美しいヒノキ林で有名な三重は、
尾鷲の速水林業の速水さんの元を
訪れた際にも、森への想いを聴きました。

人工林であっても、できるだけ
生態系を豊かにしたいんだ。

ちゃんと山肌に光が差し込み
広葉樹が育ち、動植物が共存する 
明るくて美しい人工林がそこに
ありました。

そう、林業の発祥地である奈良は吉野を
はじめとする木こりたちは、山守と呼ばれ
山を敬い、畏敬の念を持っています。

小さな小さな災害に、日々手当てを
しながら、材木となる山の恵みを
育ててくれているのです。

植えて、育てて、切る。

この循環の中で山の性格を知り
危うさを取り除くことを
代々受け継いでくれているのです。

それらを端折って、
合理的な理科だけで、
山を相手にしてしまっては
山の神様と向き合うことには
ならないのではないでしょうか。

500年余の間、山と向き合ってきた
吉野林業の知恵に触れることは
大切な事柄だと思うのです。

今日も、山の恵みに感謝して。

「熱海の土石流はなぜ起きたのか」

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