大塚工務店の歴史

【木の建築四代、もうすぐ一世紀。ためになる木の建築つくりを重ねて。】

大塚工務店は、大正十三年に大塚建築として、発足しました。
初代大塚為三郎が、開業したこの年、後に二代目となる大塚一清が誕生しています。この二代目が、私四代目の祖父にあたり、初代は曽祖父にあたるわけです。初代は、大工でもあり、自ら鋸(のこ)を揮(ふる)いましたが、二代目からは、現場を指揮し、各職方をコーディネイトする親方となりました。曽祖父、祖父、父、わたしと、人と地域に育てて頂いて、現代へとつづく四代目になります。
家の瑕疵担保責任保険という保証制度が義務化された昨今ですが、大塚工務店では初代の時のから「住まいの一生をお世話すること」をその務めとしてきました。家は建てたらお仕舞ではなく、人が住んでから始まるものです。祖父の代より大切に住み継がれた家を手入れしていると、よくも丁寧な仕事を、と感心することも少なくありません。
家が教えてくれる…それが、大塚工務店の財産であり、住まい手の皆さんのおかげさまの歴史です。
初代は為三郎と云いますが、自らの名前を引き合いに、建築という仕事を通じて人の「為(ため)」になることを銘に掲げました。棟上げの時に羽織る法被の背中には「為(ため」と染められた座右の銘が踊っていたと聴いています。
家守り四代。人の一生と、家の一生とを重ねながら、これからもこの地で、木の建築の仕事を続けて参ります。


写真は、初代為三郎、御年40才の頃のもので、明石高等女学校(兵庫県立明石南高校の前身)の在りし日の雄姿です。

↓明石高等女学校第2棟、上棟(昭和15年3月撮影)。大塚組の看板が見えます。

↓明石高等女学校第2棟、竣工(昭和20年9月25日撮影)。下見板張で異人館のよう。

第1棟が、昭和13年10月に(為三郎38歳)、
第2棟が、昭和15年09月に(為三郎40歳)、
第3棟が、昭和16年11月に(為三郎41歳)、竣工という記録が残っています。

そして、時は流れ、四代目は、建築設計事務所勤務を経て、家業の工務店へ。
木のDNAのおもむくままに、社長である三代目の親父と共に、日々、力こぶを入れて頑張っています。
全ては、お客様の喜ぶ顔を見たいから。ものづくりの原点を見直す毎日です。

そして、四代目は思うのです。

とうちゃん、じっちゃん、ひいじいちゃんの大きな背中とお腹を敬う今日この頃。 商うことはムツカシイ。 でも、ケンチクはタノシイ!

↓さらに時代は遡り、昭和12年6月、為三郎37歳の頃の写真。
 旧人丸小学校木造校舎の上棟式。

どうぞ。写真をくクリックの上、大きくしてご覧ください。

初代の為三郎の名の通り、世の中の「為」になることを実践しながら、まちの「為」になる建築、住む人の「為」になる住居つくりに邁進しています。

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